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11月24日、山田町中央コミュニティセンターで「山田の戦争を知るつどい」(主催:岩手・戦争を記録する会)が開かれました。

戦争を知らない世代の私も当時の山田のことを知りたく、お話を伺いました。

壁には資料パネルが展示してあります。

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山田空襲の被害の写真。
壁などに穴が開いています。
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昭和20年7月14日および8月9日の両日、釜石市は空襲、艦砲射撃を受け甚大な被害を被りました。
日を同じくして山田町も空襲を受けました。
「7月15日正午過ぎ、織笠字跡はま海岸が飛行機により空襲、家屋3戸が焼失、崩壊する。8月9・10日、山田湾に停泊していた海軍一号掃海艇が爆撃され、戦死者を出した。また大沢海軍航空基地が爆撃された。市街地は損害軽微」(当日資料より)

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8月9日に爆撃された「海軍一号掃海艇」

大沢には海軍航空基地があり、水上飛行機が飛び立ち空から潜水艦を捜索するなど沿岸警備をしていたそうです。
昭和18年に山田湾を基地として設置されたのが北三陸部隊という沿岸掃海部隊でした。
現在の山田道路I・C付近(親和会への登り口)に兵舎や本部が建設され、裏山には防空壕が作られました。

「震災で沈む旧海軍水上飛行機滑走台」を語る鬼山親芳さん(毎日新聞記者)

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水上飛行機滑走台はコンクリート製で大沢地区に北から南に向かって作られました。(幅20m、長さ不明)現在は海に沈んでいます。(震災後さらに沈みました)
戦後は日東捕鯨が鯨を引き上げるために活用したそうです。

また山田、宮古沿岸にはたくさんの商船が沈んでいると言われています。

「小学生の見た山田湾海戦」を語る田村剛一さん(山田町議会議員)
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防空ずきんをかぶり逃げる訓練をしたことや防空壕作り、山田町上空を飛ぶ飛行機を見た思い出を語りました。

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関谷に建立された「鎮魂之碑」と「慰霊之碑」

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北三陸部隊防空壕、903航空隊防空壕、903航空隊斜路跡、掃海艇鎮魂之碑の場所は下の地図の通りです。
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戦後70年、歴史の遺物を訪ねて山田を歩いてみてはいかがでしょうか。


(千)