山田町の津波碑シリーズ

今回は大浦の津波碑です。

大浦漁村センター前に建立されています。

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右が昭和8年三陸大津波の「大海嘯記念」碑です。
(当時の横文字は右から左へ読みます)

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一 大地震の後には津波が来る
一 地震があつたら高い所へ集まれ
一 津波に追はれたら何處でも此所
  位の髙い所へ
一 遠くへ逃げては津波に追付か畄
  近くの高い所を用意して置け
一 縣指定の住宅適地より低い所へ
  家を建てるな
      石巻市石井敬三郎刻
  
**(9月27日 漢字を修正しました)

昭和8年の大海嘯記念碑に記されている文字はだいたい同じ文面です。
しかしよく見ると漢字で記された部分が他では平仮名だったり微妙な違いがあります。


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昭和八年三月三日午前二時三十分上下ニ動揺スル強地震ア
リ續イテ参時頃ヨリ大音響ト共ニ大津浪ノ襲來アリ波浪ノ
高十米三時十分頃最モ被害アリ被害戸数船越區流失ニ十
三戸半漬一戸死者三名田之濱區流失百八十三戸半漬二戸
床上浸水十一戸死者二名大浦區流失五戸半漬十四戸床上
浸水十六戸ナリ
本碑ハ東京朝日新聞社ヘ寄託ノ義損金二十余万圓ヲ罹災
町村ヘ分配シタル残額ヲモツテ建タモノデス
 昭和九年五月
  下閉伊郡船越村長 鈴木吉平誌

各地区の被害状況が具体的な数字で残されています。
当時の村長は鈴木吉平さんで、「誌」は鈴木さんが記したという意味です。



隣にあるのは2011年東日本大震災の鎮魂碑です。

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鎮魂碑
平成二十三年三月十一日の東日本大震災の
三陸大津浪により山田地方は、瞬時にして
海も里も壊滅的な被害を受けた。
 この大津浪で大浦・小谷鳥地区では、三十三
名の尊い人命が犠牲となった。
 亡くなられた方々の御芳名を碑に記して
御霊の安らかならんことを祈念するとともに
御霊に報いるためにも、大浦漁村づくりの
力強い振興を誓いここに建立する。
 平成二十七年三月十一日
  大浦漁村づくり振興協議会

裏面には、亡くなられた方(大浦地区17名、小谷鳥地区18名)の御芳名が記されています。


大海嘯記念碑の右側の石碑は百万遍供養塔です。

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 文化十四年丑四月吉日
百万辺供羪塔

**(文化十四年は1817年)

百万辺(百万遍・ひゃくまんべん)と聞いて思い出すのが、大浦地区の祭儀に加わった際に「大きな数珠を数人で念仏を唱えながら回した」ことです。
「なんまんだ~ぶつ」と唱えながら巨大な数珠を左へひたすら回していくのです。
女性のみの参加で、数珠の輪の中にはお念仏の人が二人座り数珠が一周するごとに手元の巾着から小さい石のようなものを広げ(多分数えてる)、百周したら終了。


「コトバンク」には
「③ 京都の知恩寺で修する仏事。一〇人の僧が一〇八〇粒の大数珠を繰り回しながら念仏を一〇〇回(あわせて百万遍)唱えて極楽往生を願うもの。後には一般在家にも広まった」
とありますが、これですね。百万遍念仏といわれます。

そして、百万遍供養塔について調べたところ、全国の供養塔の説明には「念仏百万遍読誦を成就した記念に建てられた」とありました。

石碑にはその土地の歴史が刻まれているのですね。


(千)