山田町には古墳群があることをご存じですか?
房の沢(ぼうのさわ)Ⅳ遺跡
平成8年から発掘調査が行われ、古墳時代末期の古墳群であり、刀剣や武器、農工具などが出土しました。
大半が三陸縦貫自動車道路山田道路建設工事によって消滅しましたが、今でも数基の古墳が残されているところです。

と、知ってはいたものの、実際に訪れたことがなかったので、数日前に行ってみました。
地図であの辺かな~とあたりとつけてどうにか入り口らしいところを発見。

避難路でした。
有志の方のご寄付により整備されたものでした。説明板が外れていました…

長い階段を上ります。箒で掃いた跡があります。

たどり着いた避難場所。
ここから古墳跡に行けるのかと思い、ぐるぐるしたのですが見当たらず。

旧北小学校や山田湾、大島小島がみえます。

階段を降りてその辺を歩いていたら、ありました。


町の教育委員会の案内板です(平成18年)
写真入りで詳しく説明しています。
7.8世紀の古墳と馬墓が発見され、副葬品として刀剣類や馬具が多く出土しました。
案内板の写真の刀剣は「蕨手刀」と呼ばれるものです。

当時の広報やまだの記事です。

この小山に古墳群あるのです。
山田の遺跡を調べていくと、このような小山が実は昔の「館跡」だったりします。
※館跡(たてあと)は、主に中世から近世初頭にかけて、在地領主や武士が居住・軍事拠点とした小規模な砦や館の遺構のこと
「いわて遺跡地図」サイトを見ると、館跡はあちらこちらにありました。
豊間根の「内館」には案内板が設置されています。
いわて遺跡地図はこちら→https://maizobunkazai-web.pref.iwate.jp/
興味を持った方はぜひご覧になってください。
(千)
房の沢(ぼうのさわ)Ⅳ遺跡
平成8年から発掘調査が行われ、古墳時代末期の古墳群であり、刀剣や武器、農工具などが出土しました。
大半が三陸縦貫自動車道路山田道路建設工事によって消滅しましたが、今でも数基の古墳が残されているところです。

と、知ってはいたものの、実際に訪れたことがなかったので、数日前に行ってみました。
地図であの辺かな~とあたりとつけてどうにか入り口らしいところを発見。

避難路でした。
有志の方のご寄付により整備されたものでした。説明板が外れていました…

長い階段を上ります。箒で掃いた跡があります。

たどり着いた避難場所。
ここから古墳跡に行けるのかと思い、ぐるぐるしたのですが見当たらず。

旧北小学校や山田湾、大島小島がみえます。

階段を降りてその辺を歩いていたら、ありました。


町の教育委員会の案内板です(平成18年)
写真入りで詳しく説明しています。
7.8世紀の古墳と馬墓が発見され、副葬品として刀剣類や馬具が多く出土しました。
案内板の写真の刀剣は「蕨手刀」と呼ばれるものです。

当時の広報やまだの記事です。

この小山に古墳群あるのです。
山田の遺跡を調べていくと、このような小山が実は昔の「館跡」だったりします。
※館跡(たてあと)は、主に中世から近世初頭にかけて、在地領主や武士が居住・軍事拠点とした小規模な砦や館の遺構のこと
「いわて遺跡地図」サイトを見ると、館跡はあちらこちらにありました。
豊間根の「内館」には案内板が設置されています。
いわて遺跡地図はこちら→https://maizobunkazai-web.pref.iwate.jp/
興味を持った方はぜひご覧になってください。
(千)
コメント
コメント一覧
古代、縄文それらの時期には死者を埋葬する時に顔に辰砂、赤い絵の具を塗布した例があるそうです。辰砂の採掘跡が徳島県那賀郡の若杉山にあるそうで、他に例がないそうです。
どうやって辰砂を探り当てたのか不思議です。
山田町での古墳発見もすばらしいですね。早速、地図も見てみます。ありがとうございました。
房の沢遺跡は、時代が縄文・奈良~平安と重なっており、縄文土器や石器も出土しています。
縄文時代は眺めの良いこの場所で生活し、奈良時代になると墓地として死者を慰めたのでしょうか。
残念ながら遺骨や化粧などの調査結果はよくわかりませんでした。
徳島県の若杉山遺跡に関する記事も見ました。興味深いです。
歴史は面白い。
ただの山としか見ていなかったのが今では歴史の宝庫にみえますね。