山田とことこ日記

岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある山田町観光協会の公式ブログ(vol.3)です。 山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題、復興状況など発信してまいりますのでよろしくお願いします!

カテゴリ: 史跡

大浦にそっと祀られている御堂。お秀全様。

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お秀全様とは昔この地で修業したお坊様のお名前です。

「大浦にミイラがいるって本当?」とある子供たちからきかれました。
ミイラというより「即身仏」なのですが子供たちには同じ印象なのかもしれませんね(科学的には即身仏はミイラなのですが)。

大浦のお秀全様のお坊様は智芳秀全という方で、1736年に大浦村を訪れ大網の岩屋で修業し、元文3年(1738)27日6月12日37歳で入定しました。(入定とは即身仏になる行為や高僧の死をいいます)
詳しい話は「山田町史 上巻」に記してありますので興味を持った方は図書館へ行って調べてみましょう。

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この中に眠っていらっしゃるのでしょうか。



大浦の人々はお秀全様を大切に祀り、年に一度(旧暦6月12日)お堂前でお祈りしています。

しかし2019年の台風でお堂付近が被災。

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2019年の様子

2年たった2021年9月の写真です。
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お堂の後ろ側
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工事中でした。


なお、お秀全様が籠ったとされる大網(おあみ)の岩屋は船越半島の先端付近にあり、1755年には牧庵鞭牛和尚が訪れ石碑を建立しています。

(千)




「絵入り道標」はどこですかと最近また聞かれるようになりました。

織笠にあった、絵入りの道標。
「右大槌」の上には小鎚の絵、「左船越」の上には舟をこぐ人の絵が彫られています。

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「とことこ日記」の前身である「かきくけこ通信」には被災前の姿が紹介されていました。

http://yamada-kankou.seesaa.net/article/179631691.html
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案内板の横の柵の中に石碑があります。


この場所は2011年の東日本大震災で被災、石碑は現在山田町が保管しています。


そして、2021年8月の同じ場所です。

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案内板の存在が「この場所」を教えてくれました。
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(千)







2月の晴れた日、大沢上条の八幡宮に行ってきました。

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周囲の道路や宅地は整備され、所々家屋が建設中の大沢地区。

八幡宮の入口
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鳥居左側にある石碑
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「早池峰神社 巌手山神社 紫波稲荷神社」1876年

人1人が通れるくらいの狭く急な階段をのぼると
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八幡宮本殿です。

「山田町史」によると「宝暦十年(1760)宝教院により勧請、建立された」とあります。
祭日は旧四月十五日です。

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気が付かなかったのですが、回り込んでみたら柱の後ろに鐘がありました。

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本殿に向かって左側にある三重塔。

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狛犬さんは独特なお顔をしていらっしゃいました。

(千)

こちらでは何度か紹介しています牧庵鞭牛和尚さま。
約300年ほど前、閉伊街道などの道づくりに生涯を尽くしたお坊様です。

山田町には鞭牛碑が9つあるといわれています。
船越半島の大網
大沢袴田(2基)
荒川穴乳山洞窟
船越山の内(2基)
織笠新田
三本小松
織笠川端

先日、織笠川端にあるという「橋供養碑」を訪ねていってみました。
震災で倒れたと聞き「もう移動されてないのでは」と思い込んでいたため確認が今頃になったのですが…

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石碑群は1基が無事な状態のままそこにありました。

橋供養碑もありましたexclamation

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明和(1767)四亥四月十日、協力者である善治郎さんの名前が刻まれているといいますが…わかりますか。

この場所は元は織笠河川敷公園として整備されてました。
石碑群はコンクリートの土台の上に建っていたのですが津波の勢いで倒されたり折られたりしたようです。

他の石碑
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金毘羅神社

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金毘羅供養塔

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奉書妙典一字一石一禮

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梵字 湯殿山

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念仏供養塔

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奉納四国西国神社仏閣拝禮塔

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卍 南無阿弥陀仏

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船流供養塔(裏返し)

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早池峰山 巖鷲山 志和稲荷

この石碑群は全部で13基あり、1基が現状、2基が横転、8基が折損、2基が不明となっています。

山田の鞭牛碑、残すところ船越半島の大網(おあみ)だけとなりました。
今年度中に到達できるのか!?こうご期待。

(千)

何度かお伝えした船越御所跡。

諏訪神社から西に位置する場所に船越上館(たて)があります。
そこには文字のない古碑がひっそりと佇んでいるといいます。

ということで行ってきました。
船越御所跡を辿る今までは(田の浜御所跡、本城跡)倒木や藪に進路を邪魔されてようやくたどり着いたものでしたが、今回は

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道があり階段があり

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草も刈り取られて整備されていました。

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横から

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後ろから

この古碑には文字がありません。
風化して消えてしまったのかはじめからないのか…。

「山田町史上巻」にはこう書かれています。
「船越上館は国鉄船越駅の南、船越上台の海岸段丘の上にあって、主郭とその下に段階状に二段の郭が作られ、詰の城との間は大きな空堀で作られている。
この空堀後には、大槌方面に向かう旧浜街道が通っていたが、いまは国鉄山田線と、国道45号線が敷詰められ一部が完全に破壊されてしまった。詰の城は、屹立した旧段丘の先端を削って、三重、あるいは四重の帯郭をめぐらし、空堀で切って砦を造り、背後の尾根からの侵入を防いでいる」(宮古地方の中世史「古城物語」より)


誰が何の理由でここに建てたのでしょう。歴史のロマンですね。

船越上館
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国土地理院地図より


(千)

織笠の馬指野の奥にある「矢立の滝」に向かう途中にあるという「天明碑」。先月、矢立の滝を見に行ったときは見つけられませんでしたが、一足先に発見した師匠に先日連れていっていただきました!

先月と同じ場所なのにだいぶ雰囲気が変わっていました。
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オランダ街道も先月は桜の花びらロードだったのが、この1カ月ほどでさらに、緑がモリモリしていました。この趣のある道に来るたびにタイムスリップしたかのような気分になりますぴかぴか(新しい)
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オランダ街道からまもなく行くと、この間は目にしなかった石碑が!
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先月は笹に隠れて見つけられなかったと、師匠が周辺をこそっとお手入れしていました。
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「天明年間・劔當了襌定門・百五十年期供養」とあるようです。この街道で亡くなった旅人を供養するために建てられたと言われているそうです。供養碑と聞くと切ない気持ちになりましたが、歴史を感じる貴重な財産ですね。
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と、師匠との旅はまだ続くのですが、ちょっと長くなりそうなのでまた次回お伝えしたいと思います(#^^#)

(福)



3月某日、田の浜を散策していると赤い鳥居が見えたのでお参りしてきました。

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一般道からは見えない所に静かに佇んでおります。

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長い石段。風情があります…

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狛狐(こまぎつね)さんがいました。

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笑ってる。

狛犬は「守護獣」ですが、狐(他にも猿や兎など)は「神使(しんし)」といい、神様の使いなのだそうです。お役が違うのですね。
(稲荷神は農業神で狐はその使いなのですが、お稲荷様=狐と広まったのは江戸時代からなそうです)

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台座に刻まれた文字「文化元甲子年」。
調べました。1804年です
11代将軍 徳川家斉の時代。葛飾 北斎44歳。

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タイトルに稲荷神社としましたが、神額が見当たらなかったので自信がありません。
山田町史の神社リストを参考にしました。

(千)

大沢地区にある「おりそー様」と呼ばれている「居磯大権現(おりいそだいごんげん)」。以前、燻製づくりに参加した時に聞いた話だと、ご縁日が旧の3月3日なそうですが、当日は行けなかったので別の日に行ってきました。
ご縁日の日に、昔はおりそー様をまぶっている(守っている)人たちがお団子などを売っていたそうです。
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おりそー様の水は目の病気に効くと言われていたそうで、たくさんの方がお参りに来ては、水で目を洗ったり、水を汲んで持ち帰っていたそうです。ここから汲んでいたのでしょうか。
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先へ進むと鳥居がありました。
この苔むした感じが味のあるイイ雰囲気ですぴかぴか(新しい)
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不動明王さまが祀られています。
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さらに進むとまた鳥居がありました。
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大きい石がありました!大沢地区に多い姓の「箱石」もこの箱型の石にちなんでつけられたとも言われているようです。
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居磯さまの由来は、北行中の義経御一行が大沢のとあるお宅にお世話になったとき、こちらに祀られていた権現様をお参りされていたそうです。義経が大沢に逗留中によく磯遊びをしていたことから「居磯」と命名し、兄頼朝と袂を分かつ決意をしたのが3月3日であったので、この日をご縁日にしたとも伝えられています。(「大沢の七籠り」参照)

とても由緒ある権現様なんですね。山田で生まれ育っても知らないことや行ったことないところがたくさんあります。神社をお参りして癒されるお年頃、また新たに癒しのスポットができましたるんるん

居磯さまにまつわる話は諸説ありますので、またいつかお伝えできればと思います!

(福)



山田にある5基の道標のうちの一つが荒川地区の加倉の分かれ道にありました。
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「文化弐歳 右ハ福士長沢道 左ハ小川穴治道 町畑 丑ノ十一月日 岩間」
町畑=那智畑生まれの岩間が追善供養のために建てたものと言われている。(山田町史参照)
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昔の旅人さんたちはこの道標を見て旅していたんですね。
左に行くと多久里の滝の方へ行くのですが、右へ行くと宮古市の長沢へ行けるようです。


「右ハ福士長沢道」の方へ行くと、大川が流れています。ここで「オシドリ」に会いました!水辺の木陰を好むそうで、なかなか姿を見せてはもらえず・・・運が良ければ会えるかもしれませんよ!
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(福)




船越御所跡へ行ってみました。

震災前は町の案内板が立っていたところです。
このブログの前身「かきくけこ通信」でも取り上げていました。
http://yamada-kankou.seesaa.net/article/172359630.html
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現在は案内板も鳥居もなく、階段も所々破壊されています。

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頑張って登ってみました。

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館山八幡宮

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ご挨拶してから奥に入ります。

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笹藪をかき分けじわじわ進みます。
どこを見ても同じ景色で、しゃがんで見渡しながら北端まで歩いてみました。

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石碑の様なものがあるかと探してみたのですが見つからず…

北側真ん中付近で見つけた石。
意図的に円になるように置いたのでしょうか。

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館であることがわかるところ。平地が段になっています。
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ここも
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船越御所全体

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所在地 山田町船越
跡 主郭 帯郭 空堀
規模 180m×80m 標高15m

船越駅から東に約800mの所に、船越半島から半島の頸部の低湿地に突出した海岸段丘の基部が切られて独立した小丘陵ができている。この小さな丘の南側に削られた急崖はそのままに、北及び東の斜面を切って、一重、あるいは二重の帯郭をめぐらして造られているのが船越御所である。(宮古地方の中世史 古城物語)
(山田町史より)





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